足利にて 銘仙展へ向けてリポート①

皆様こんにちは、日伊櫻の会(EVE文化事業部)の沢辺です。
しばらく更新が滞ってしまっておりました。失礼致しました。
気が付くと、とっても熱い夏がすぎて、過ごしやすい秋の季節が訪れました。昨日、現在私たちが足利市立美術館と共に企画中である、イタリア・パリでの絹織物”銘仙”展についての打ち合わせのために、本会会長と足利市を訪れました。

日伊櫻の会(EVE文化事業部)は現在、イタリア各地の自治体に既に渡った櫻を介したネットワークを通して、日本の絹文化をイタリアに発信しようと試みています。

絹文化といっても、では何に焦点をあたて発信していこうか?
私たちが注目したのは”銘仙”でした。
銘仙とは、大正昭和初期に大流行した絹の織物で、型紙によって糸に先染めし、それを平織りした着物です。足利、伊勢崎、秩父などが主要産地でした。これが当時の”大衆着”だったわけです。

銘仙はなんといっても、その斬新で自由で、溌剌としたデザインが魅力でした。補色を使ったり、蛍光色を入れたり。大柄で、とにかく派手なものが沢山あります。デザインも自由、自由、というかもやは、なんでもあり、といった感じです。

ですが竹下夢二や杉浦非水など、当時活躍した一流デザイナーたちも銘仙デザインに関係していましたし、高島屋や三越など、一流百貨店がマーケティングしていた商品でした。
銘仙のデザインは、正に、それまで長く鎖国していた日本に、急激に海外のデザインやアートが入って来たことの強い刺激があってこそ生まれ得たもので、正にデザインにおける東西文化の接触、交流を象徴しています。

着物という日本在来の形を保ちながらも、そのデザインには日本の西洋との出会いが伺えるという点で、イタリア、ヨーロッパに発信していく絹文化として銘仙はとても意義深いものと思い、現在展示に向けて活動しています。

そうした文化の担い手となったのが、足利市だったのです。昨日は、 2016年の展示に向けて、足利市立美術館と打ち合わせをしてきました。イタリアでの展示の監修を努めて下さるのは、足利市立美術館の大森哲也先生です。先生は、これまで足利市立美術館等で、足利の銘仙展を企画されてきていらっしゃり、銘仙の研究者であられます。
そして大森先生がお声掛け下さって、銘仙のコレクターの方々や、銘仙を数多く所有されている施設・桐生織塾の方にお集り頂きました。


(銘仙コレクター桐生正子さんと、桐生さんのコレクション。様々な珍しい柄の銘仙をコレクションされており、昨日は、コレクションの一部をお持ち下さりました。)

こんなに自由で色鮮やかな着物を、昔の女性達が普通に纏っていたというのは驚きです。桐生さんは、銘仙を”着ると元気になる着物”だとおっしゃっていました。

こうなると、もはや油絵のようです。テキスタイルに、プリントしているのかと思ってしまうかもしれませんが、そうではなく糸に先に色をつけて織っています。とても手がこっている技術です。

こうした銘仙、今見ても色あせませんが、その黄金期は昭和初期、今からもう100年も近く前になるわけです。
100年前、それは社会そのものが大きく変化し、女性達の社会的な役割も変わっていって、未来への夢や意識も大きく変わった頃だったはずですが、そういった時代に女性達が”着ると元気になる”銘仙を纏っていたという事実は、なんだか感慨深く思えました。

ですが、こうした銘仙のデザインは、今も新たなプロダクトへのインスピレーションを与えています。(リポート②へ続きます)